香撰堂本舗 / ワンランク上の味わいを食卓に、静岡産100%深蒸茶匠、特許取得の備長炭入り炭火焙煎茶

温故知新伝 ガイド

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香撰堂本舗/温故知新伝

日本茶と云うと静岡茶など産地銘柄、やぶ北茶でいう品種、
深蒸し茶でいう製茶製法等での商品名称が主流ですが、
業界初の日本茶に直接関連する歴史学、民俗学、文学、芸能、
また牽強付会な形も含めての
ラインナップを温故知新の偉人伝とし発売しました。


メイドインジャパンの品質をお届けします。

坂本龍馬、渋沢栄一、からオードリー・ヘップバーン、
マリリン・モンローまで古今東西のラインナップです。


2004年以来、20年ぶりとなに、24年度上半期に新札発行。新紙幣の表の図柄は1万円札が渋沢栄一、

5千円札が津田梅子、千円札が北里柴三郎になります。

本品は、昔ながらの炭火焙煎『特許取得焙煎製法』での仕上です。
一般焙煎では出せない、芳醇で奥深い味わいと風味をお届けします。

考案主旨
近年お茶の製造工程は摘み取りから仕上げの乾燥まで、全て機械により進められています。
昔は手摘み、手揉みが当たり前でした。ご年配の方が昔のように香のいい美味しいお茶が
最近は無くなったと云われるのは、一要因に機械化が進んだ事からだと思われます。
従って手摘み新茶、手揉み煎茶、炭火焼焙煎茶等の高級茶は、希少なうえ高額な価格帯で
しか提供出来ないというのが現状でした。
そのような中、昔ながらの炭火焼焙煎茶を低価格で造れたらとのおもいが考案の発端です。
手前味噌ながら大量生産では出来ない、鮮度と風味を引き出し、
まろやかで奥深い味わいに仕上がったと自負しております。


坂本龍馬

概説
天保6年11月15日〈新暦・1836年1月3日〉 –
慶応3年11月15日〈新暦・1867年12月10日〉)

幕末の志士。ペリー来航を背景に尊皇攘夷運動が
高まる中、多くの人士と交流し、攘夷論を超えた
国際的視野に立つ日本の未来像を描いた。
脱藩と帰藩を繰り返す中で、勝海舟の神戸海軍操
練所開設に尽力、若手浪人を集めて海軍創設と海
上交易による株式会社設立の構想を持った。
1865(慶応元)年には薩摩藩の援助の下、
長崎で亀山社中を設立。
対立関係にあった薩摩・長州両藩を実利で結び、
66年薩長同盟が成立、倒幕への大きな布石となる。
社中は土佐藩参政の後藤象二郎の尽力で、
土佐藩づき商社であり海軍教育施設として
の海援隊へと昇華した。
倒幕後の新政府案を後藤と構想したものが、
いわゆる「船中八策」と呼ばれ、後藤から土佐藩
を通じて幕府に建白、67年に徳川慶喜をして
大政奉還をせしめるに至った。
その一月後、33歳の誕生日に京都の近江屋で暗殺された。
暗殺の実行犯は見廻組説が有力であるが、
黒幕は幕府説、薩摩藩説、土佐藩説、紀州藩説など
があり、未だに謎である。
日本の未来を見ぬまま凶刃に倒れました。
暗殺犯については諸説ありいまだ謎を残しています。
日本茶振興業績
坂本龍馬のスポンサーに大浦慶という女傑がいます。
時代は幕末の混乱期に入り、長崎には勤王の
志士たちが集まり始めた。お慶はその財力と
美貌で多くの勤皇志士と親交を深め、
資金援助に奔走し、志士たちの面倒をみた。
彼女が一番世話したのが坂本龍馬率いる亀山社中
(後の海援隊)の若者たちだったといわれる。
当時オールトという若いイギリス人で、
かつての商品見本の空袋を、たずさえて現われた。
そして、いきなり60トンもの日本茶を注文しました。
あまりの量に驚きながらも、
お慶は九州一円を駆けまわり、懸命に注文に応じた。
当時の茶は、農家が細々と作っている程度で、
一括で買い入れられる仕入れ先など有りませんでした。
お慶の思惑は当たり、西洋でも日本茶は好まれ、
輸出量はうなぎのぼり。

それまでは日本茶の輸出など考える者さえなく、
最初に手をつけました。
その後、お茶は生糸と並ぶ輸出品の筆頭に
なり外貨獲得の重要産業になりました。


「坂本竜馬」商品詳細
完成品

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